職能+〇〇〇

先日、半年間続いた設計施工の案件がよ
うやくめどがつき、引き渡しの直前とい
うところまで来ています。こちらに引っ
越してきてから職能について考えること
がよくあり、もっと言えば、職能を越え
て仕事することに関心があって、いろい
ろと試してみたりしています。私の場合
だと分野は建築で職能は一応のところ設
計士。そして、今回の工事では設計施工
なので職能を超えた部分はこの施工を行
うということになります。設計をしなが
ら施工もする。設計士が施工もする。こ
のことは、ネガティブな要因を考えれば
、工務店に内装の工事を頼むと驚くほど
に高い金額が出てきてしまうので、素人
でもできる施工と使う人と一緒にDIY形式
で工事を。という感じでついつい手をだ
してやりがち。コストを抑える以外に設
計者が施工をする利点は何だろうと、手
を動かしながら考えていました。

最初に私が思ったことは、使う人と一緒
に作業するということ。素人でもフロー
リングの施工や塗装の仕上げといった簡
単な作業をワークショップ形式で行う。
日にちを決めて、塗る段取りと人手の確
保をして、当日はお祭りみたいにワーッ
と。みんなでする作業はとても楽しく、
一気に形が見えてくることはとてもいい
なーとおもったり。でも、なんか違う。
一緒にという感覚ではなく、教える側と
参加者という風に立場がはっきりしてい
て、作り上げていく感覚にどうしてもな
れない。というより、準備に追われとて
も疲れる。鷲田清一さんの『パラレルな
知性』の中でこんなことが書かれている。

 火山学のベテランの研究者があるとき
噴火の予知に失敗した。しばらくないと
言っていた噴火が起こってしまったのだ
。住民はすぐにその研究者を糾弾したの
だろうとだれもが思いそうなのだが、じ
っさいにはその研究者に対する住民たち
の信頼はゆらぐことがなかったという。
理由は一つ、「わしらが盆休みに遊びほ
うけ、正月に酒びたりになっているとき
も、あの先生は一日も休まず火口を見に
いっていたのをしっているから」という
ものだった。
 その友人があるフォーラムで、参加者
にこんな問いを投げかけた。「どんな専
門家がいい専門家ですか?」
 返ってきた答えはすごくシンプル。高
度な知識を持っている人でも、責任をと
ってくれる人でもなく、「一緒に考えて
くれるい人」。

「パラレルな知性」鷲田清一著

「一緒に考えてくれる人」。一緒に作業
をして、色々な手ほどきして教える立場
ではなく、半分素人である設計大工がこ
んな事できるわけがないのに図に乗るん
じゃないよと思ったりしているが、一緒
に考えるということはなんか対等な感じ
がする。なんかワクワクする。先回りを
して待っている必要もないし。よしこれ
でいこう。施工精度はあらかじめあんま
しだということがわかっているので、作
る過程において使う人と一緒に考えなが
ら作ること。それが設計者が施工をする
ときの利点ではないかと思う。