みつまた農家右手忍さんの事業承継
中右手集落のみつまた農家、右手忍さん
の事業承継。美作市はR2から事業承継の
プラットフォーム『継業バンク』を活用
して事業承継の取組をスタートさせた。
みつまたの他には、すでに、美作市の自
然系観光資源の右手養魚センターが地域
おこし協力隊制度を活用して事業承継に
向けて取り組み始めているところ。
中国やヒマラヤ地方原産の樹木である「
みつまた」いつ本国に飛来してきたかは定
かでないが、室町時代には日本の山林で野
生化したものがみつかったとされ、栽培の
始まりは江戸初期からと、古くから人の生
活に近い植物として利用されてきた。岡山
県はみつまたの産地としても有名であり、
中でも県北部の美作地方はとくに局納みつ
またの産地として知られている。また、こ
の地域のみつまた栽培は焼畑農業と大きな
関係があったとされている。
岡山県の山間地域は、河岸の小規模な段
丘水田、背後の傾斜畑、それらをかこむ
山林から成っている。このような平野部
と著しく異なる立地条件は、作物選択や
栽培法にこの地域固有のものを成立させ
た。その代表的なものは、薪炭林や杉・
桧植林地においてそれらの再利用が可能
になるまでの期間に行われた焼畑の利用
とみつまた栽培であろう。この農法は決
して生産性の高いものではなかったが、
自然の再生力を利用した合理的なもので
あったと思われる。しかし、暖房燃料が
炭から石油に変換した昭和30年代半ばを
境にこの農法は一気に消滅した。
参照 論文
岡山県の山間地域にあった焼畑農業につ
いて岡山県農業試験場 中野尚夫・水島嗣雄
焼畑農法とみつまた
過去を振り返ってみても分かるように、
中国山地の肥沃で水はけのよい土壌のお
かげで、しっかりと定着したみつまた。
春先に山を這って、杉や桧の足元を覆い
つくすように花を咲かせるみつまたの景
観は、美作市北部の梶並地域でよく見ら
れ、地域の誇るべき景観資源といえる。
しかし、焼畑農業の消滅により、徐々に
人の生活から離れていったみつまた。現
在では、高齢化や仕事の多様化が進むに
つれ、みつまたを加工・出荷をする人は
減り、梶並地域でみつまた農家を営むの
は中右手集落の右手忍さん(譲り手)だ
けとなってしまった。中右手集落では地
域景観資源の維持、ユネスコ文化遺産に
も登録されている「和紙」の文化を次世
代に繋ぐために、原料となるみつまた農
家の担い手も必要不可欠な存在であるこ
とより、R3より「みつまた農家、右手忍
さんの事業承継」をスタートさせた。
みつまた農家は右手忍さんだけに
R3から始まったこの取組。この取組の大
きな特徴を上げると地域が関わって事業
承継を進めている事。地域は譲り手と共
に後継者探しのための体験会を企画及び
実施。その他、会期中の滞在場所の提供
、視察応対、地域住民との交流など事業
承継以外のサポートをおこなってきた。
そのかいあって現在では、移住を含めて
事業承継に取り組んでみたい人、移住は
しないが、繁忙時期のサポートなど引き
続き関わりたい人、紙漉き場やみつまた
の新しい活用を目指したみつまたユーザ
ー、さらに取組を応援したいサポーター
も現れ、みつまたを中心としたコミュニ
ティが形成されつつある。体験会を通じ
て多様な立場の人を巻き込んだ事業承継
がスタートできた。
THINK ABOUT「3」
「みつまたの成長サイクル」
「みつまた事業承継の3年間」
「譲り手、継ぎ手、地域、3方良し」
R5からみつまたの継承期間と定めた3
年間が始まる。この3年は焼畑農業時代
のみつまたの植え付けから収穫までに要
する期間と一致する。事業主体も「譲り
手」と「地域」から「譲り手」と「継ぎ
手」に主体が変わり、「地域」がこの両
者をサポートするという体制に変化して
いく。「譲り手」は今まで持っているノ
ウハウや技術の承継のための3年間。
「継ぎ手」はこれまでに把握出来たみつ
また事業承継の課題を解決しながら、自
身の生業にするまでの3年間になる。
「地域」はオフシーズンの圃場整備のサ
ポート、「サポーター」がこの事業に参
画しやすいオープンな仕組み作りを「譲
り手」と「継ぎ手」と共におこなってい
く。具体的には、中右手集落の地域交流
拠点である「パブリックハウスアンドサ
ウナ久米屋」をみつまたの活動拠点とし
て開放し、地域のおせっかい集団である
「中右手おもてなし隊」が「サポーター
」の窓口となり、事業承継を後押しする
これら、「譲り手、継ぎ手、地域、3方
良し」な状態でみつまたの事業承継に取
り組み、美作市を代表するみつまた景観
資源の維持、産業や文化の継承を目指し
ていきたいと考えている。
地域のおせっかい集団「中右手おもてなし隊」が事業承継の後押し